ちゃーちゃんとるーちゃんず

ちゃーちゃんと姉妹のるーちゃんず、そして新入りの弟と旦那の5人暮らし

3人目の出産~子宮動脈塞栓術(UAE)~

 ■放射線科での子宮動脈塞栓手術

子宮内に粘膜下筋腫(子宮筋腫)があったことで出産後の子宮の収縮がうまく行かず、大量出血をしてしまっていた翌朝の7時から放射線科にて子宮への血流を止める手術・子宮動脈塞栓術(UAE)を行ないました。

 

 

 

手術はこの場所で手術するの?というような、思っていたイメージの手術室とは違う、物がたくさん置いてある場所で、約1時間行われました。

 

下半身だけ感覚がない状態で、自分も見ようと思えばモニター画面をのぞき見ることができる状態での手術で、映し出される映像を操作する部屋には、昨日無事バルーン処置をしてくれた准教授も様子を見にきていました。

 

下半身麻酔をかけていたから、全く痛くも痒くもなく、ぼーっとしていたらあっという間に1時間は過ぎました。

 

「結構太い穴を右足太もも付け根の動脈に開けているので、手術後5時間は足を動かしてはいけない、開いてしまうと大出血をしてしまう」ということで、右足には結構な長さのテーピングをされました。

 

■まだ病室に戻れない

出血を止めるための手術を終えたので、もう病室へ戻れるものだと思っていたら、出産をして辛い処置を受けた分娩室の、あの分娩台にまた戻りました。

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まだ病室に戻れないんだ、、まだ処置をするのか、、と思ったら、ゾクゾクしました。

 

助産師さんに病室に戻れるかと思ったら戻れなかった・・と話をしたら、「もう1日この分娩台の上で過ごして様子を見る」ということでした。

 

2つある分娩台の1つを2日間にわたってずっとお産を終えたわたしが使っていて良いのかとても気になって聞いてみたところ、

「いろいろと処置をしたりするのに、分娩台の方が良い。もう1つ分娩台あるから大丈夫。お産が重なりそうな時はその時移動するなりすれば良いので、気にしないで使ってもらって大丈夫。」と言われました。

 

■母が来ていた

分娩台に戻ってきてしばらくすると、昨晩旦那から状況を聞いていた千葉の実家から母が来ているということで、分娩室は本当は旦那さんしか入れない場所でしたが、母を通してくれました。

 

わたしの状況を聞いて、母はいてもたってもいられなかったそうです。

母に「赤ちゃん無事に産まれたよ」と報告をしました。そして、母の“お母さん”の顔を見たら、どっと涙があふれてきてしまって、泣いてしまいました。

 

いろんなことがありすぎて、辛かった。

 

もういい年なのに、“お母さん”の顔を見たら、甘えて泣いてしまいました。

 

母はわたしに、

「よく頑張ったね」

「もうひとふんばりだから。 」

「3人のお母さんになったのだから泣いてないでふんばらないといけないよ!」

と、喝も入れてくれました。

 

母の顔を見てひと泣きしたら、気持ちも落ち着いて、自然と元気がでました。

千葉の田舎からわたしの顔を見るためだけに朝早くからかけつけてきてくれた母。

ありがとう。

 

■様々な人生の1ページ

わたしが分娩室の分娩台の上で過ごしている間に、隣の分娩台で、お産は2件ありました。

分娩台に来たかと思ったら、あっという間にお産を終えて病室へ戻って行った人。

出産に立ち会い、感動して泣いていた旦那さん。

体重を測りにわたしのすぐ隣に来た生まれたばかりの赤ちゃんたち。

母子同室を開始する前に赤ちゃんは1日様子をみるため、助産師さんと一緒に過ごしている生まれたばかりの赤ちゃんがすぐ側にしばらく居たり。

 

命の誕生、一人一人の人生の1ページを自分のお産以外でもすぐ側で感じながら、手術後は夕方まで寝ていました。昨夜と比べればだいぶ眠れたかな。

夕方、処置をするということで起きると、顔と手、足がすごくむくんでいました。

そして、「昨日と同じ処置を軽めにする」と言われ、何がどう軽めなのかよくわからなかったけど、軽めな?昨日とは違ってあまり痛くはなかった処置を受けました。

 

処置をすると聞いてから勝手にガクガク震えてくる足。

処置が怖くて辛い。

はやく病院から帰りたい。

 

初めて、もう病院にいたくないと思いました。

 

夜遅くになって、ようやく分娩室から病室へ戻れることとなりました。

分娩台から車椅子には、助産師さんのサポートなしで自分一人で移動することができました。

久しぶりに戻ってきた病室のベッドは、分娩台とは違って寝心地よかったです。

 

■翌朝は心と身体がバラバラ

翌朝目が覚めると、身体がずっしりと重たく、ベッドに沈みこんでしまう感じでものすごくだるくて昨夜より体調は悪く、ぐったりしてました。

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朝食がきて、今日から赤ちゃんに授乳も始める予定だから(病室に戻ってきたら赤ちゃんに授乳しに行けるものだと思っていた)、ご飯しっかり食べなくちゃいけない、目の前の食事を食べよう、食べなくてはと思うのだけど、身体が受けつけなくて食欲がなくて、思うように身体を動かせられなくて、これじゃ赤ちゃん見にも行けないよと思ったり。

心と身体がバラバラになってしまった感じで、たまらなく辛く、また泣いてしまっていました。

 

午前中に採血をして診察もしたのだけど、朝の段階で貧血の値が6.8とまだ低く、貧血がひどかったため、この時点で血漿は4パック、輸血は5パックしていたのだけれども、この日もち追加で輸血することになりました。

全身がむくんで頭がガンガンして辛かった。

 

助産師さんに聞いたところ、出産時からトータルで4リットル以上出血しているそうでした。

「自分の血、ほとんどなくなっちゃって性格まで変わってしまったりして?!」と助産師さんとそんな話をして笑いました。

 

前日に子宮への血流を止める手術をしたのでそんなに出血はしていないようでした。明日の手術で子宮筋腫を取ったら子宮がちゃんと収縮できて出血も収まってくるのでしょう。

明日の手術で子宮を全摘出する可能性もあるけれど、もう3人のママにもなれたしね。全摘出することになったとしても仕方がないな・・という気持ちでした。

 

■赤ちゃんに会いたい

だるさが少しずつ抜けてきた午後、明日の手術にむけて子宮筋腫の状態を把握するためMRIを撮りに行きました。

 

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手術をする前に、赤ちゃんの顔だけでもみたいと思って、赤ちゃんに会いに行きたいと助産師さんに話をしたのだけど、引き継ぎなどで忙しい時間でタイミングが悪く、手術前にNICUに連れて行ってもらうことはできませんでした。

出産後まだ一度も赤ちゃんの顔を見れていなかったので、手術前に赤ちゃんの顔を見ておきたかったけど、まだ一人で立って歩くこともできず、車椅子を押して連れて行ってくれる人の助けがないと何もできなかったので手術前は諦めました。

 

明日の手術を終えればあとは快方に向かうだけなのに、いろんなことが辛く、明日の手術で万が一何かあったとしてもおかしくないとも思ったので、徐々にメールなどもできるくらい元気になってきてから旦那にこれだけは伝えておきたいということをメッセージしたりもしました。

 

夕方、お見舞いに来た子どもたちに会いました。

上の子は、輸血している点滴や出血を貯める袋、おしっこの袋などがあることに気がついて、むくんでもいるそんなわたしの姿をみて涙ぐんでしまいました。

こんな姿を見せてしまってごめんね。。

 

旦那からは、今日は顔がむくんでいるね、病人みたい、病人らしい。と言われていました。

 

18時前に明日の手術にあたり、主治医と麻酔科医の先生から説明を受け、同意書にサインをしました。

 

放射線科で行った手術の翌日はこんな感じで心と身体がバラバラで、かなりだるくて辛い1日でしたが、子どもたちからも元気をもらえ、あともうひと踏ん張り、がんばらなければと思えました。

 

翌日は、10時頃から子宮筋腫摘出の手術です。