3人目の出産 粘膜下筋腫により大量出血~子宮弛緩出血、出血性ショック~
2068gではありましたが小さいながら、陣痛にも耐えてくれて、緊急帝王切開となることなく通常分娩で15時35分に無事赤ちゃんの産声を聞くことができました。
よかった、無事に産まれてよかった。と、ほっとして安心していました。
分娩には新生児科の先生も来ていて、処置を終えたあと赤ちゃんは小さいためNICUへと行きました。
わたしは分娩台の上で、続けてそのまま胎盤などの処置を受けながら、旦那と無事に産まれてよかったという話をしていました。
旦那から、「無事に産まれてよかった。けど、顔色悪いよ」と突っ込まれていました。
胎盤を剥がそうと先生が試みる度に、子宮の壁を引っ張られるような感じを感じていました。
しばらくして先生から、【胎盤が剥がれないので先に、少し裂けてしまったところを縫いますね】と声をかけられて、先生は裂けてしまった会陰を縫い始めました。
縫い終わったあと、再び胎盤を引っ張りはじめ、今度は無事に胎盤が剥がれ、取り出されました。
この頃からわたしの足は勝手にガクガクブルブルと震えはじめていました。
処置を終えたあと、しばらくして先生から今回のお産についての説明を受けました。
【通常経膣分娩での出血量は500ml程度のところ、1000を越える出血量となった】
【通常と比べたら大量の出血となります】
というようなことを言われました。
しばらくして、助産師さんが【食べるかな?】と、夕食を持ってきました。
食事が届いたということはこの時点で18時だったのでしょう。
分娩台の背もたれを少し上にあげたところ、一気にぐわんと血の気が引く感じになって、「ダメだダメ、起き上がれない、背もたれ戻して」と操作ボタンを押して背もたれを上げていた旦那に背もたれを戻してくれるよう頼みました。
【もうしばらく横になったままでいましょう】と言われてからしばらくして、【赤ちゃんの新生児科での検査結果が出たので結果を聞きに行ってきて欲しい】と言われ、わたしはまだ分娩台に横になったままだったので旦那に行ってもらいました。
そのあとからの記憶が、かなり途切れ途切れなのですが、覚えていることを記録として残しておきたいと思います。
何時くらいだったのか全くわからないけれど、処置を受けていた足がガクガクブルブル勝手に震え、ずっとずっと止まらなかった。
わたしはぐったり、分娩台に横になったまま目を閉じていましたが意識はかろうじてあり、先生たちのいろんな声が聞こえてきていた。
【準備した方がいいね】
【輸血準備して】
【ご主人は?輸血の同意書もらって】
【輸血4しかすぐに準備できないそうです、残りの2は1時間後になるそうです】
【とりあえず4でいい】
【筋肉注射して】
【筋肉注射するので少し痛いですよ】と声をかけられ、右腕に筋肉注射をされた際、「筋肉注射って痛いんですね」と、助産師さんに言った覚えがあります。
この他にも名前覚えていないけれど、たくさんの点滴の指示が助産師さんに出され、バイタルをチェックする装置を胸につけられ、自動血圧測定装置は右腕に。あれよあれよという間にたくさんの機器と点滴液が天井からぶら下がり両腕から入れられた。
それからどのくらいの時間が経っていたのか、【おなか押しますよ】と言われ、おなかを押されるたびに、おなかの中からじゃばじゃばと血が出ていく感覚。
覚えている先生たちの会話
【何だろうこれ】
【(おなかにエコーを当てながら)黒い何かがあるんだよ】
【掴もうとすると逃げるんだよ】
【何これ?○○○?子宮筋腫?○○○?(何て言っていたか覚えてない)】
わたしがぐったりなのか意識を失っていたからなのかわからないけれど、そのような会話のあと、
子宮の中に手か何かを突っ込まれ、その何かがわかっていなかったものを取ろうとしていたのか、子宮内をかきまわされ、あまりの痛さに意識が瞬時に戻った感じでした。
それが激痛すぎて「先生痛いです」と泣きながら訴えていました。
出産時の痛みよりも痛かった・・
実際のところ、出産よりも強烈な痛みとして身体が覚えていて、それから先に行われる処置が怖くて怖くてそれから2日間くらい、思い出すだけで足が勝手にガクガク震え、もう処置をしたくなくて処置と聞いただけで足は震えて泣いてしまっていたほどで、翌日の処置時のわたしの様子をみて、分娩時休みでいなかった主治医からは、【昨日一体何があったの?】と聞かれたほどでした。
あの時、何かわからなかったエコーに映っていた黒いものは後で粘膜下筋腫(子宮筋腫)とわかったのだけれど、筋腫の根っこは結構太かったということで、あのとき無理に何かわからないまま筋腫を引っ張って取っていたら、きっと出血は4リットルでは済まず、もっと一時的に出血してしまっていて、より危険な状況、状態になっていたのではないかと思います。
次に覚えているのは、
【○○先生呼ぼうかな】
【まだ院内のどこかにいるはず、呼んでくれるかな】
【こういう時はたくさん人がいた方がいいから】
という声。
この時点で、わたしのまわりには既に3人の産科の先生がいて、一人は処置、一人はエコー、一人はわたしのおなかをさすっていた。
ガクガクブルブル震えていた足が、この頃には処置が痛すぎてなのか何なのかわからないけれど足だけでなく、顔までの全身が震えていた。
わたしは分娩室の中央にある分娩台の上にいて処置を受けていたはずなのに、分娩室の左端の隅っこにいるというなんとも不思議な変な感覚が残っています。(身体と意識が分離した状態でまじめに死にかけていた?!)
わたしのまわりに集まった4人目となる呼んできた先生は後で知りましたが、子宮筋腫などを得意分野とする准教授で、准教授が来たあと、
【バルーンが入らないんです】
【何かがあって、掴もうとすると動いて逃げるんです】
【膣にバルーン入れてもこれじゃダメだよ、奥に、ここに入れなきゃ】
【少し痛いよ、痛いかな】
「大丈夫です」と答えるわたし。
【痛いって言ってもお産に勝るものはないか】
【○○と同じ、○○して○○、○○○○、UAEだな】
准教授によって子宮内にバルーンを入れて止血を試みるという処置が無事終わったようで、これから先、どのような処置をしていくのがよいという話をしていました。
そのあとは、助産師さん2人が出血した血のたくさん入った袋から血を別の袋へ、どばーっと移している後ろ姿がみえたところです。
【出血量トータル2630】
結構出血しているんだな・・と数値を聞いて思いました。
次に覚えているのは、
もう16時はとっくに過ぎていて、夜勤の助産師さんの時間に交代しているはずなのにまだ分娩でお世話になった助産師さんがいると思った頃です。
「残業にさせちゃいましたね、すみません」と話した記憶があります。
その次に覚えているのは、バルーンを取り除いて、ガーゼを詰める処置をすると聞いた時です。
痛い処置はもうしたくなくて、「怖いです」と半泣きで訴えていると、
【眠ってしまうこともできるけど眠ってしまった方がいい?】【それか少しボーッとするけど痛み止めにしようか】と聞かれた覚えがあります。
眠る=麻酔を意味していたのかわからなかったけど、とりあえず痛み止めの注射だったか点滴だったかをしてもらって、意識がボーッとした状態でガーゼを詰める処置を受けました。
そして、【ご主人どうぞ】と声をかけられて旦那がわたしの側にきて、初めて壁にかけてある時計をみました。
時計をみたところ、22時30分を過ぎていました。
「いつまで経っても出てこないから心配しちゃった」と言われました。
「出血が止まらなくて・・」と言ったあと、わたしは処置が痛くて痛くて辛かったことをただひたすら泣きながら訴えていました。
これからも続いていくと思われる処置が怖くて、もう処置を受けたくない、一人にしないで、側にいて欲しいと言っていた覚えがあります。
そしてわたしが落ち着いてしばらくした頃、先生から、現在の状況と今後についての話がありました。
【これから先、本人の意識がなくなったりした時にどう対処していくか困らないためにも確認をしておきたい】と言っていました。
【出血が止まりにくく、子宮内にガーゼを詰めています。】
【このまま出血が止まらなければ、放射線科で子宮への動脈からの血流を一時的に止める、血管を詰めて出血を止める手術をします。】
【手術をして子宮への血流を止めたからといって子宮が死んでしまうということはないです。】
【子宮はとても不思議で、血流を止めても新たな血管がまた作られていき、赤ちゃんを守るために血液を全身から集めてくる臓器なので、出血が全て止まるということはなく、太い血流ができたら出血が止まらないこともある。】
【放射線科で手術をして出血が収まらない場合や子宮の収縮がうまくいかない場合、子宮筋腫を切除する手術を行う。子宮の全てを取る子宮全摘出をすることも考えられる。】
【最初から子宮筋腫だけでなく、子宮の全てを取ってしまうこともできるが、次のお子さんはできなくなります】
【どうしますか】
どうしますか・・・
旦那は本人の意思を尊重すると言っていた。
さすがに、4人目はもう考えていないけれど、本来そこにあるべきものを取ってしまって影響がないのかなどとても不安に感じ、できるならば子宮は残しておきたいと思い、わたしは子宮筋腫だけを取り除き、子宮は残せるならば残したいという意思を伝えました。
先生も【わかりました、子宮筋腫だけを摘出し、子宮は残す方向で】と言いました。
現状を説明受けた際に先生から受け取っていた説明内容の書かれた紙を退院してから見ましたが、そこには、
現状:
子宮弛緩出血→出血性ショック
子宮粘膜下筋腫
子宮粘膜下筋腫(位置不明)により、子宮収縮不良が生じ、子宮弛緩出血、出血性ショックが生じています。
今後起こりうること(出血が止まらなければ)
・子宮の血管を詰める
・子宮の筋腫をとる手術をする
・
と、書かれていました。
↑あえて3番目には「・」だけで文字は何も書かれていませんでしたが、3番目は、会話した際に聞いた子宮全摘出と思われました。
後日、旦那から聞きましたが、「あの(説明を受けた)時、先生、結構てんぱってたよね。【本当に申し訳ありません】【申し訳ありません】って2回言ってたけど、“申し訳ありません”って悪いことしちゃった時にしか言わないよね」と言っていました。
わたしはよく覚えていなかったけど、意識が朦朧としていた時にやっぱり何か、本来なら麻酔とかすべきところを意識がないからと、そのまま処置しちゃったのかな?それでわたしがとび起きたのかなと思いました。
説明を受ける前からずっと輸血は続いていて、輸血(赤血球)は1パックを2時間かけて滴下していっていました。
当直の先生は夜中も2時間おきにわたしの様子をみにきていました。
4時の時点で、助産師さんに聞いてみたところ、出血は収まっていない・・ということでした。
どうするか先生はしばらくの間、悩んでいました。「先生、悩んでますね・・夜中ですしね・・」と、助産師さんに話ました。
しばらく悩んでいた先生が戻ってきて、
【輸血まだ続くんだよね】
【これからまた一本(輸血)入れます】
【うん、それが終わるのが6時だから、バイタル安定しているから朝までこのまま様子みよう】という結論を先生は出し、朝までこのまま様子をみることになりました。
バイタルをチェックし続けている機器が、わたしが意識を失って眠りにつきそうになると、呼吸が浅くゆっくりになるからか、ピーピーピーピー鳴りはじめ、その度に助産師さんが来て確認をしていたので、この日の夜は全く眠れないという、長い長い1日となりました。
翌朝7時から、放射線科において血管造影剤を使用した手術をすることとなりましたが、それはまた日を改めて書かせてもらいます。
↓こちらに続く